この記事のあらすじ
AIを使えば、文章は自分で考えなくても書いてもらえる。計算だって任せられるし、分からないことがあれば検索せずにAIへ聞けばいい。確かに、できることだけを見ればその通りだと思う。
でも、実際にAIを使い込んでいると、「AIがあるなら人間側の文章力や知識はいらなくなる」という話には少し違和感がある。AIが出した文章を見て「ここは違う」と気づくことも、間違った答えに「それ本当?」と引っかかることも、次の質問を思いつくことも、結局はこちら側の知識や考える力があるからできる。
さらに最近思うのが、同じAIを使っていても、検索の代わりとして使う人と、会話しながら考える人では、AIの役割そのものがかなり違うのではないかということだ。
AIを使っていても、検索とほとんど変わらないことがある
AIの一番分かりやすい使い方は、何かを質問して答えをもらうことだ。「○○って何?」「これについて説明して」「この文章を作って」と入力すれば、それらしい答えがすぐに返ってくる。
検索サイトで何ページも開いて調べる必要がなく、知りたい内容をある程度まとめてもらえるので、それだけでもかなり便利だと思う。ただ、使い方の流れだけを見ると、検索とほとんど変わらないこともある。
Googleで検索して、一つの記事を読んで終わるのと構造としてはかなり似ている。AIのほうが文章で説明してくれたり、自分のレベルに合わせて簡単にしてくれたりする違いはあるけれど、AIの回答を「検索結果の代わり」として受け取っている状態だ。
検索に近い使い方
AIに質問して、返ってきた答えを読んで終了する。この使い方では、AIはかなり高性能な検索窓として機能している。
私も単純に情報だけ知りたいときには、もちろんこういう使い方をする。でも普段AIを使っているときは、ここで終わることのほうが少ない。
最初の質問より、その後の会話のほうが重要になる
私はAIに質問するとき、最初から完璧なプロンプトを作ることはほとんどない。まず思ったことをそのまま投げて、返ってきた答えを見てから考える。
こういうやり取りをしていると、最初の質問は完成された指示というより、会話を始める入口に近くなる。返ってきた答えを読んで、その答えに対してまた何かを考える。人と話しているときとあまり変わらない。
今回の記事も、最初から「AIを検索として使う人と、会話として使う人の違いについて書こう」と決めていたわけではなかった。最初に話していたのは、「AIを使えば自分で文章を考えなくてもいいと言われるけれど、本当にそうなのか」ということだった。
最初からこの結論を考えていたわけではない。会話を続けていたら、疑問が少しずつ別の方向へ動いていった。私はむしろ、この変化こそが会話型AIのおもしろいところだと思っている。
AIが文章を書けても、文章力が不要になるわけではない
「AIが文章を書いてくれるなら、これからは自分で文章を書く能力なんていらなくなる」という考え方もある。確かに、文章を一から組み立てて完成させる作業自体は、AIによってかなり楽になった。テーマを渡せば、それなりに整った文章はすぐに出てくる。
でも、実際にAIが作った文章を読むと、自分が言いたかったことと少し違っていたり、同じことを何度も言い換えていたり、文章としては自然なのに中身が薄かったりすることもある。
AIが得意なこと
文章を整える。構成を作る。言い換える。大量の情報を短時間で文章にする。
人間側に残ること
本当に言いたかったことか、内容がおかしくないか、読みやすいかを判断する。
そのときに「ここは違う」と気づけるのは、AIではなく使っている側だ。自分で文章を書いた経験がまったくなければ、「この段落はつながりが弱い」「ここは同じ内容を繰り返している」「この表現だと自分の考えと少し違う」と判断する基準も育ちにくいかもしれない。
AIが文章を作ってくれることと、その文章が良いかどうかを判断できることは別の能力だ。
AIの間違いに気づけるのも、こちらに知識があるから
これは文章だけではなく、情報の正しさについても同じことが言える。AIは普通に間違えるし、しかも間違っていることでもかなり自然に説明することがある。
自分が知っている分野なら、回答を読んだ瞬間に「いや、それ違うでしょ」と気づける。でも、まったく知らない分野ではそうはいかない。そもそも知らないからAIに聞いているので、答えが間違っていても判断できないことがある。
知っている分野なら
まったく知らない分野だと
そう考えると、「AIがあるから知識はいらなくなる」というのも少し違う。すべてを暗記する必要はなくなっていくとしても、AIが出した答えに違和感を持つための基礎知識は必要になる。
AIが答えを出せることと、その答えを評価できることは同じではない。
プロンプトを思いつくこと自体にも、考える力が使われている
AIの話になると、「これからはプロンプトを書く能力が重要になる」とよく言われる。ただ、プロンプトという言葉から、ものすごく長くて細かい命令文を書かなければいけないような印象を持つ必要はないと思っている。
私自身、AIに「それ違くない?」「そんなことやる必要ある?」「もっと簡単な方法ない?」「今の話とさっきの話を合わせたら?」と普通に返している。これだってAIへの指示には違いない。
でも、この流れも何も考えずに起きているわけではない。「違う」と思えるのは、自分の中に何らかの基準があるからだし、「別の方法はないのか」と思えるのは、最初の回答に納得していないからだ。
本当に大事なのは、完璧なプロンプトを書くことより、「何に納得できないのか」「次に何を聞きたいのか」を考えられることなのかもしれない。
小学生の頃から全部AIに任せたらどうなるのか
この話をしていて気になったのが教育だった。たとえば、大人が「計算なんて電卓でやればいい」と言うのと、小学生が最初からすべての計算をAIにやらせるのでは意味がかなり違う。
大人は一度、足し算や掛け算の仕組みを学んでいる。だから、電卓で明らかにおかしい数字が出てきたら「何か間違えたかな」と気づける。でも、計算の考え方そのものを知らないまま全部AIに任せていたら、その数字がおかしいことにも気づけないかもしれない。
文章も同じだと思う。作文を最初からAIに全部書かせれば、提出する文章そのものはきれいに完成する。でも本来、作文を書く過程では、自分が何を感じたのかを考え、それをどういう順番で伝えるのかを考え、書いたあとで読み直して修正する。
最初から全部AIに任せる
課題は早く終わる。でも、計算の考え方や文章を組み立てる経験まで省略してしまう可能性がある。
自分で考えてからAIを使う
自分の答えとAIの答えを比べたり、分からない部分だけ質問したりすることで、考える過程そのものは残せる。
だからといって、子どもにAIを使わせないほうがいいとは思わない。これからAIが当たり前になるなら、むしろ使い方を学ぶ必要はある。ただ、答えを全部作らせる道具として使うのと、自分の考えを確認したり広げたりする相手として使うのでは、意味がかなり違う。
たとえば、こんな使い方ならかなり違う。
検索として使う人と、会話として使う人ではAIの役割が変わる
ここまで考えると、AIを検索として使う人と、会話として使う人の違いは、単に質問する回数が多いか少ないかではないと思う。
AIを検索として使う
欲しい答えを聞いて、それを受け取ることが中心になる。AIの回答がゴールになる。
AIを会話として使う
返ってきた答えを材料にして、次の疑問や別の視点を考える。AIの回答が次の思考の入口になる。
会話として使う場合は、一発目の回答が完璧でなくてもそれほど問題ではない。ズレていれば「そこじゃない」と言えばいいし、面倒な方法を出されたら「もっと簡単なのない?」と聞けばいい。意味が分からなければ「そこが分からない」とそのまま返せばいい。
そうやって何往復かしているうちに、自分でも最初は言葉にできなかった考えが少しずつ見えてくる。今回の記事そのものも、その会話の中から生まれたものだ。
AIが便利になるほど、人間側に残るものが見えてくる
AIがもっと発達すれば、文章を書くことも、計算することも、調べ物をすることも、今よりさらに簡単になると思う。人間がすべての作業を自力でやる必要は確実に減っていく。
ただ、「作業をしなくてよくなること」と「考えなくてよくなること」は同じではない。AIに何を聞くのか、返ってきた答えは本当に正しいのか、自分はどこに違和感を持ったのか、別の可能性はないのか。そこから次に何を聞けば、自分の考えがもう少し先まで進むのか。
AIを検索として使えば、答えを受け取ったところで終わる。
でも会話として使えば、その答えから次の疑問が生まれ、そこからまた別の考えにつながっていく。
私にとってAIは、「自分の代わりに考えてくれるもの」というより、自分一人では途中で止まっていた考えを、会話しながらもう少し先まで進めるための相手になっている。



コメント