親から注意されることはあっても、反対に子どもが親の行動を指摘すると、なぜか怒られることがある。「自分だって同じことをしているじゃない」と言っただけなのに、いつの間にか言い方や態度の問題になり、最初に何を話していたのか分からなくなってしまう。さらに不思議なのは、激しく言い争った数分後には、何事もなかったように普通の会話に戻っていることだ。
最近、そんな日常の出来事から、親子のコミュニケーションについて考える機会があった。この記事では、親子間の役割の固定化、防衛的反応、解釈バイアス、そして繰り返される口論の仕組みを心理学の視点から考えてみたい。
親は注意する側、子どもは注意される側?
親子関係には、子どもが大人になっても変わりにくい役割がある。幼い頃、親は子どもに生活習慣や社会のルールを教える立場だった。子どもはそれを教わり、注意されながら成長していく。
しかし、子どもが大人になれば、必ずしも親の判断が正しいとは限らない。親だって間違えるし、子どものほうが正しいことを言う場合もある。それでも、長年続いてきた「親は注意する側、子どもは注意される側」という関係が、無意識のうちに残っていることがある。
家族心理学では、こうした関係を家族内の役割や相互作用パターンという視点から考えることができる。親が子どもを注意することには慣れていても、反対に子どもから注意されることには抵抗を感じる場合があるのかもしれない。
「自分だってやってるじゃん」が怒りを生む理由
例えば、犬の散歩に使うバッグを、親がいつもと違う場所に置いていたとする。普段、子どもが同じことをすると「ちゃんと元に戻して」と注意される。それなのに、親自身も同じことをしている。そこで「自分だってやってるじゃん」と指摘すると、今度は「またそういう言い方をして!」と怒られる。

自分だってやってるじゃん

またそういう言い方をして!
こちらが問題にしているのは、同じ行動をしているのに注意する基準が違うという矛盾だ。ところが、相手はその事実よりも、指摘されたこと自体に反応してしまう。
ここには防衛的反応が関係している可能性がある。人は自分の行動や判断を否定されたと感じると、その内容を冷静に検討するよりも、まず自分を守ろうとする場合がある。また、同じ行動でも自分と他人で異なる基準を適用することは、ダブルスタンダード(二重基準)と呼ばれる。
防衛的反応:自分の行動や考えを否定されたと感じたとき、内容を考えるより先に自分を守ろうとする反応。
ダブルスタンダード:同じ行動なのに、自分と他人で違う基準を当てはめてしまうこと。
もちろん、親が意図的に不公平な扱いをしているとは限らない。しかし、注意する側とされる側で基準が変わってしまえば、注意された側が納得できないのも自然だろう。
なぜ自分への批判だと思い込んでしまうのか
もう一つ気になるのが、相手の発言を勝手に自分への批判として受け取ってしまうことだ。例えば、一緒に散歩に行く予定だったのに、途中で予定が変わってしまったとする。そのつもりで準備をしていなかったため、「何もしてないんだけど!」と言ったところ、なぜか「ご飯も作ってるし、洗濯もしてる!」という反論が返ってくる。

何もしてないんだけど!

ご飯も作ってるし、洗濯もしてる!
こちらは自分が散歩の準備をしていないという意味で言っただけなのに、相手は自分が家事をしていないと責められたように受け取ってしまったのだ。確かに「何もしてない」という言葉だけでは、主語も説明も不足している。しかし、意味が曖昧なら「何が?」と確認することもできるはずだ。
心理学では、曖昧な情報を特定の方向に解釈する傾向を解釈バイアスという。また、自分に向けられた発言ではないものまで自分に関係するものとして受け取ることは、個人化(personalization)という認知の偏りに近い。
解釈バイアス:はっきりしない情報を、自分の思い込みに沿った方向で受け取ってしまう傾向。
個人化:自分に向けられていない出来事や発言まで、自分に関係するものとして受け取ってしまう考え方のクセ。
ただし、一度の勘違いだけで相手に特定の認知バイアスがあると断定することはできない。
重要なのは、相手が実際に何を伝えようとしているのかを確認する前に、自分の解釈を事実として扱ってしまうことである。
なぜ関係のない家事やお金の話まで持ち出すのか
さらに、口論になると、最初の話題とは関係のない過去の出来事や不満が持ち出されることもある。散歩の準備について話していたはずなのに、いつの間にか「家にお金も入れていないくせに」「これだけしか払っていないくせに」という話になる。

家にお金も入れていないくせに

これだけしか払っていないくせに
もちろん、家事の分担や生活費について不満があるなら、それ自体は話し合う必要がある。しかし、それは散歩の準備とは別の問題だ。こうしたやり取りは、日常的にいう論点のすり替えに当たる場合がある。
論点のすり替え:話し合っていた本来の話題から、別の話題へと話の中心がずれてしまうこと。
心理学的には、防衛的反応に加えて、過去の不満や感情が現在のやり取りに影響することも考えられる。相手の発言がきっかけとなって、それまで抱えていた不満まで一気に表面化するのかもしれない。ただし、実際にどのような心理が働いているかは本人にしか分からない。
問題なのは、別の話題を持ち出すことで、最初に話していた内容が解決されないまま終わってしまうことだ。
注意されると反発したくなる「心理的リアクタンス」
心理学には、心理的リアクタンスという概念がある。これは、自分の自由が制限されたと感じたとき、その自由を取り戻そうとして反発する心理のことだ。
心理的リアクタンス:「こうしなさい」と自由を制限されたと感じたとき、かえって反発したくなる心理。
例えば、親が子どもから「ちゃんと元に戻して」と言われたとき、単なる指摘ではなく、自分の行動を指図されたように感じる場合がある。特に、それまで注意する側だった人にとって、立場が逆転することは不快に感じられるのかもしれない。もっとも、親が反発する理由をすべて心理的リアクタンスで説明できるわけではない。言葉の受け取り方や、そのときの感情、普段の関係性も影響する。
なぜ親子喧嘩はいつも同じ展開になるのか
親子喧嘩で厄介なのは、最初に何を話していたのか分からなくなることだ。例えば、物を元の場所に戻したかどうかという話だったはずが、いつの間にか「言い方が悪い」「怒鳴るな」という話になってしまう。
もちろん、言い方や声の大きさもコミュニケーションでは重要だ。怒鳴られれば、相手が話の内容を聞き取るよりも、声の大きさに反応してしまうこともある。
家族心理学では、家族の問題を一人の性格だけでなく、お互いの反応が繰り返される相互作用のパターンとして捉えることがある。一方が注意し、もう一方が反論する。すると注意した側が反論の仕方に怒り、反論した側は話を聞いてもらえないことに怒る。こうして、同じような口論が何度も繰り返されてしまう。
激しく喧嘩したのに、数分後には普通に戻っている不思議
ところが、こうした親子喧嘩にはもう一つ不思議な特徴がある。ついさっきまで激しく言い争い、「もうご飯なんて作らない!」とまで言っていたのに、数分後には何事もなかったように普通の会話をしていることがある。

もうご飯なんて作らない!
あれほど怒っていたのに、どうしてこんなに早く普段どおりに戻れるのだろうか。心理学的には、感情調整(emotion regulation)や家族内の相互作用という視点から考えることができる。怒りは必ずしも長時間続くわけではなく、きっかけとなった状況から注意が離れることで、比較的短時間で弱まることもある。
感情調整:怒りや不安などの感情を、そのときの状況に合わせて強めたり弱めたりする心の働き。
また、家族は日常生活を共有しているため、喧嘩をしても食事や家事、何気ない会話など、普段の生活に戻るきっかけが多い。ただし、すぐに普通の会話に戻ることと、問題が解決していることは同じではない。本当に気持ちが落ち着いている場合もあれば、単に問題を棚上げしている場合もある。
喧嘩は終わっても、喧嘩の原因は残っている。
だからこそ、次に似たような出来事が起きると、また同じやり取りが繰り返されるのかもしれない。
親子だからこそ、対等に話すのは難しいのかもしれない
親子という関係は、生まれたときから対等だったわけではない。親は子どもを育て、教え、守る立場にあった。その関係が長く続くからこそ、子どもが大人になっても、昔の役割から抜け出しにくいことがある。
しかし、親であることと、常に正しいことは別だ。子どもが親を注意することもあれば、親が子どもから学ぶこともある。それは本来、不自然なことではないはずだ。
また、親子だからこそ遠慮なく感情をぶつけられる一方で、相手の話を冷静に聞くことが難しくなる場合もある。喧嘩しても数分後には普通に戻れる関係は、ある意味では気兼ねのなさを表しているのかもしれない。しかし、何度も同じことで衝突するなら、ただ元に戻るだけでなく、なぜ同じ口論が繰り返されるのかを考える必要もあるだろう。
大切なのは、誰が言ったかではなく、何を言っているのか。
そして、相手の言葉を自分の思い込みで解釈する前に、一度その意味を確かめること。親子だからこそ、そんな対等なコミュニケーションが必要なのかもしれない。



コメント