他人のミスを知るとなぜ少し安心するのか

心理学

仕事でミスをすると、「こんなことを間違えるのは自分くらいなのではないか」と感じることがある。ところが、別の部署でも似たようなミスが起きていることを知ると、不思議と少し安心する。

しかし、それは単純に他人の失敗を喜んでいるからとは限らない。心理学の視点から見ると、そこには他人と自分を比較する「社会的比較」や、自分だけが特別に失敗しているわけではないと認識する「正常化」など、いくつかの心理的な働きが関係している。

他人のミスを知って、少し安心した

職場で、別の部署でミスがあったという話を耳にした。詳しい内容を書くことはできないが、それなりに影響のあるミスだったようで、その後の対応についても話し合われていた。

それを聞いて最初に感じたのは、

「他の部署でも、こういうミスは起きるんだな」

という、少しの安心だった。もちろん、誰かが失敗したこと自体が嬉しいわけではない。

自分も仕事では細かな入力や確認をする。間違えることもある。そのたびに、「こんなところを間違えるのは自分だけなのではないか」と考えてしまうこともある。

だからこそ、他の人にもミスがあると知ったことで、自分の失敗を少し違った位置から見ることができた。

人は自分を他人と比べて評価する

心理学には、社会的比較理論(Social Comparison Theory)という考え方がある。心理学者レオン・フェスティンガーが提唱したもので、人は自分の能力や状態を判断するとき、客観的な基準だけではなく、他人との比較を利用するという考え方である。

仕事でも同じことが起こる。自分が一度ミスをした。その事実だけを見れば、「自分はミスをした人」である。しかし、周囲の人がどの程度ミスをしているのかは、意外と見えない。

自分のミス

自分が当事者なので、ほぼすべて把握している

他人のミス

共有されない限り、知ることができない

すると、比較するための情報に偏りが生まれる。

自分の失敗はよく見えるのに、他人の失敗はほとんど見えない。

その状態が続けば、「周りは普通にできているのに、自分だけ間違えている」という感覚が生まれても不思議ではない。

「自分だけではない」と分かると安心する

他人にも同じような失敗があると知ることで、「これは自分だけに起きていることではない」と認識できる。こうして、自分の経験を極端に特殊なものとして捉えなくなることは、広い意味での正常化(normalization)として考えることができる。

たとえば仕事を始めたばかりのころ、自分だけが分からないことだらけだと思っていたとしても、同じ時期に入った人も同じところで困っていると知れば、

「自分だけ理解できていないわけではない」

と安心できる。ミスについても同じである。他人のミスを知ることによって、

「自分だけが異常に間違えているわけではない」

という基準を取り戻すことができる。

安心している対象は、他人の失敗そのものではない。

自分だけがおかしいわけではなかった、という確認に安心しているのである。

ただし、「他人もやっているからいい」になると話は変わる

ここには注意も必要である。「他の人もミスをしている」と知ることには、自分を必要以上に責めなくなるという良い面がある。しかし、

「みんな間違えているんだから、自分も間違えていい」

となれば意味が変わってくる。

自分に都合のよい情報を使って、自分の失敗を軽く評価しようとするのであれば、自己奉仕バイアス(self-serving bias)に近い働きも考えられる。

同じ「他人もミスをしている」という事実でも、

「だから自分も気にしなくていい」

「誰にでも起こり得るなら、自分も気をつけよう」

どちらで考えるのかで、その後の行動はまったく違う。

他人事だからこそ、冷静に見られることもある

自分がミスをした直後は、どうしても感情が入る。

「怒られるかもしれない」
「評価が下がるかもしれない」
「また間違えてしまった」

こうした不安がある状態では、ミスそのものを冷静に分析することが難しくなる。

一方で、他部署で起きた出来事であれば、自分は直接の当事者ではない。そこには心理的距離がある。そのため、

「どこで間違えたのだろう」
「自分の仕事でも似たことは起こりそうだ」
「自分ならどこを確認すれば防げるだろう」

と、比較的冷静に考えることができる。

他人のミスは、自分のミスよりも客観的に観察しやすい。だからこそ、他人の失敗を単なる他人事として終わらせず、自分の仕事に置き換えて考えることができれば、一種の教材にもなる。

「他部署でよかった」と「自分も気をつけよう」は両立する

影響の大きそうなミスの話を聞けば、

「自分のところじゃなくてよかった」

と思うこともある。それ自体はそれほど不思議な反応ではない。自分が直接その対応をしなくてよいことへの安堵もあれば、自分自身が当事者ではなかったことへの安心もある。

しかし、そのあとに、

「でも、自分の仕事でも似たようなことは起こり得る」

と思えるかどうかは重要である。

心理的距離が遠すぎれば、「自分には関係ない」で終わる。反対に、自分と重ねすぎれば、「自分もいつか大きなミスをするかもしれない」と必要以上に不安になる。

その中間に、

「今回は自分ではなくてよかった。でも、自分にも起こり得るから気をつけよう」

という捉え方がある。

他人のミスは、自分を責める材料でも安心するだけの材料でもない

仕事をしていれば、他人のミスを知る機会がある。そのとき、「ちょっと安心した」と感じることに後ろめたさを持つ必要はない。

自分の失敗ばかりが見えていたところに、他人も間違えるという情報が入れば、自分に対する評価が少し修正されるのは自然なことである。

大切なのは、そこで終わらないことだ。

1
他人のミスを知って、「自分だけではない」と安心する。
2
そして、「自分にも起こるかもしれない」と考える。

一見すると反対に見える二つの感覚は、実は両立する。

他人のミスは、自分を必要以上に責めないための材料にもなり、自分の仕事を見直すための材料にもなる。

「他人事でよかった」と思いながら、「他人事ではない」と考える。そのくらいの距離感が、仕事のミスとの付き合い方としてはちょうどいいのかもしれない。

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