仕事が終わって帰るとき、職場ではみんな「お先に失礼します」と言って帰っていく。
でも私は「お先に失礼します」って、毎日言うにはなんとなく長いなと思っていて、いつも「お疲れ様です〜」と言って帰っている。
別に無言で帰っているわけではないし、「お疲れ様です」と言いながら帰る準備をしていれば、相手にも「あ、帰るんだな」と普通に伝わる。それなら別にいいじゃん、と思っていた。
ただ、改めて周りを見てみると、みんなちゃんと「お先に失礼します」と言っている。
しかも私はまだ新人で、挨拶する相手には先輩だけでなく上司もいる。
そう考えたら、急に「これ、周りに合わせたほうがいいのかな?」と気になってきた。
単純なビジネスマナーとして考えれば、「退勤するときは『お先に失礼します』が一般的です」で終わる話だと思う。
でも私が気になったのは、そこではない。
誰にも注意されていないし、意味だって通じている。
それなのに、なぜ周りと違うだけで少し気になるのだろう。
考えてみると、たった一言の挨拶にも、集団の中で人がどう振る舞うのかという心理がかなり表れている。
周りと同じにしたくなる「同調」
心理学には、「同調(conformity)」という言葉がある。
同調(conformity)とは
周囲の人の行動や意見に影響され、自分の行動もそれに合わせること。
今回の私でいえば、「お疲れ様です〜でも別によくない?」という自分なりの考えはある。
それなのに、毎日みんなが「お先に失礼します」と言って帰るのを見ていると、「自分もそっちに合わせたほうがいいのかな」と思えてくる。
面白いのは、誰かから注意されたわけではないところだ。
上司から「帰るときは、お先に失礼しますと言ってください」と言われたわけでもない。
ただ周りのみんながそうしている。
それだけでも、人は「ここではこれが普通なんだ」と認識して、自分も同じように行動したくなる。
誰も決めていないのに生まれる「社会的規範」
ここには、「社会的規範(social norm)」も関係している。
社会的規範(social norm)とは
法律や正式なルールではないけれど、「この場ではこうするのが普通」と集団の中で共有されている行動の基準。
おそらく会社の就業規則を探しても、「退勤時には『お先に失礼します』と言わなければならない」なんてルールは書いていない。
それでも、みんな同じような挨拶をする。
新しく入った人は周りを見て、「この会社では帰るときにこう言うんだ」と覚える。その人も同じように挨拶するようになると、次に入ってきた人から見れば、それがさらに「この会社の普通」に見える。
誰かが明確に決めたわけではないのに、習慣が引き継がれていく。
職場には、こういう「明文化されていないけれど、なんとなくみんな守っているルール」が結構ある。
新人だと余計に気になる理由
今回もう一つ大きいと思ったのが、私がまだ新人だということ。
何年も働いていて、周りから「この人はこういう人」と分かってもらえている人なら、「お疲れ様です〜」と言って帰っても、それほど気にされないかもしれない。
でも新人の場合、まだ相手が自分を判断するための情報が少ない。
挨拶、話し方、仕事の進め方、時間の守り方。ちょっとした一つひとつの行動が、その人の印象を作る材料になりやすい。
ここで関係するのが、「規範的影響(normative social influence)」という考え方だ。
規範的影響(normative social influence)とは
「周囲から浮きたくない」「変に思われたくない」「集団に受け入れられたい」といった理由から、周囲に合わせること。
「別にお疲れ様ですでも間違ってないでしょ」と思う一方で、

新人なのに軽いと思われないかな?
という部分がちょっと気になる。
これも、周囲の規範を意識しているからこそ生まれる感覚なんだと思う。
「どう見られるか」を調整する印象管理
さらに、「印象管理(impression management)」という考え方もある。
印象管理(impression management)とは
相手から自分がどう見えるかを意識して、言葉や行動を調整すること。
「印象を操作する」と書くと、なんだか計算高いことをしているように聞こえるけれど、実際には誰でも日常的にやっている。
友達には「じゃあね」で帰っても、上司に同じことは言わない。
家では何も言わずに部屋を出ることがあっても、会社では一言挨拶する。
相手や場所によって話し方を変えること自体が、ごく普通の印象管理でもある。
だから、「私はお疲れ様です〜でいいと思っているけれど、新人のうちは周りに合わせてお先に失礼しますと言ったほうがいいのかな」と考えるのも、自分を偽っているというより、職場という集団の中で余計な摩擦を作らないように調整していると考えられる。
周りに合わせることは「自分がない」ということなのか
こういう話になると、「周りに合わせてばかりいる必要はない」という考え方も出てくる。
それもその通りだと思う。
何でも周囲と同じにする必要はないし、「みんながやっているから」という理由だけで、自分の考えまで変える必要はない。
ただ、今回の挨拶くらいのことであれば、少し違う気もする。
自分にとってほとんど負担にならないことなら、集団のルールに合わせることで余計な誤解を避けられる。
これは「自分を捨てて周囲に従う」というより、社会の中で生活するための調整に近い。
逆に、自分にとって大切な価値観まで周囲に合わせ始めたら、それはまた別の話になる。
「同調するか、しないか」の二択ではなく、
何を合わせて、何は自分のままにするのかを選んでいるとも考えられる。
たった一言の挨拶にも集団心理がある
結局、「お疲れ様です〜」でも意味は通じるし、それだけで失礼な人になるわけではない。
ただ、みんなが「お先に失礼します」と言っている環境なら、新人のうちはそっちに合わせておくのも別に悪くない。
慣れてきて「この人はこういう人」と分かってもらえるようになれば、自然と自分なりの言い方になっていくかもしれない。
最初は単純に、

みんなお先に失礼しますって言ってるけど、自分だけお疲れ様です〜でいいのかなw
くらいの話だった。
でも心理学の言葉を当てはめてみると、そこには同調、社会的規範、規範的影響、印象管理と、人が集団の中で生活するときの心理がいくつも隠れている。
こういう何気ない日常の「なんでだろう」を心理学で見てみると、ただの職場マナーの話ではなくなってくる。
それなら明日から「お先に失礼します」に変えるのかというと――
そこはまだ、「お疲れ様です〜」の短さも捨てがたいんだけどw



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