仕事を教えるとき、「ちゃんと説明したのに、なぜか相手が理解してくれない」と感じることがあると思う。しかし、これまで仕事を教わる側に立ってきた経験を振り返ると、少し違う見方ができる。
教えてくれる人の説明が間違っているわけではない。むしろ詳しく説明してくれることもある。それなのに、説明を聞いたあとで「で、結局どうすればいいんだろう?」となることがある。なぜこんなことが起こるのか。これまで教わる側として感じてきたことをもとに整理してみたい。
質問したときに欲しいのは、まず「答え」
仕事で、ある入力内容について「これは○○で合っていますか?」と質問したことがある。こういうとき、最初に知りたいのはとても単純だ。「それで合っています」なのか、「今回は△△です」なのか。
ところが、その項目の仕組みや背景から説明が始まることがある。もちろん、それ自体はありがたい。理由まで分かれば、次から自分で判断できるようになる。ただ、肝心の「今回は何を入力すればいいのか」が最後まで明確にならないと、説明を聞いたあとに自分でもう一度考えることになる。

ということは……今回はこっちでいいってこと?
結局、確認のためにもう一度質問する。これでは教える側も教わる側も二度手間になってしまう。教わる立場を何度も経験してきて、「結論→理由」の順番はかなり大事なのだと感じている。

今回はAで大丈夫です。その理由は〜です。
これだけで、ずいぶん分かりやすくなる。
「どうすればいいか」以前に、言葉の意味が分からないこともある
もう一つ、教わる側に立って気づいたことがある。長く働いている人から、ある作業を「やってもらえますか?」と頼まれたときのことだ。しかし、その作業を表す言葉自体に馴染みがなかった。そのため、「やり方が分からない」という段階ですらなかった。

その言葉は、何をする作業のことなんだろう?
というところから始まっていたのだ。長く働いている人同士なら、一言で通じるのだと思う。その言葉を聞いただけで、使うシステムや画面、操作する場所、完成形まで頭の中に浮かぶ。しかし、その仕事に入ったばかりの人には、その前提知識がない。
教える側では一つの指示でも、教わる側ではいくつもの疑問に分解される。
「やってもらえますか?」という一つの指示
「それは何?」「どこでやるの?」「何を見ればいいの?」「完成形はどうなるの?」
慣れている人ほど説明を飛ばしてしまう「知識の呪い」
こうした現象を考えていて面白かったのが、「知識の呪い(Curse of Knowledge)」という考え方だった。
知識の呪い:人は一度何かを知ってしまうと、知らなかったころの感覚を想像するのが難しくなる、という考え方。
仕事でも同じなのだと思う。何年もその仕事をしている人にとっては、次のような流れが、ほとんど一つの動作になっている。
だから途中の説明が省略されても、本人の頭の中では自然につながっている。しかし、その仕事に入ったばかりの人には、その間をつなぐ知識がまだない。
教える側からすると「ここまで言えば分かるだろう」という説明でも、教わる側では途中に大きな空白が残っていることがある。
「こうしてください」だけより「なぜそうするのか」があると覚えやすい
一方で、教わっていて「これは分かりやすい」と感じた説明もある。ある作業で、同じような内容を複数登録してしまったことがあった。単純に「複数登録しないで、一つにまとめてください」だけでも指示としては成立する。しかし、その理由まで説明してもらうと理解度がまったく違った。
複数登録すると、後の工程でも複数の選択肢として出てきてしまう。さらに、そのうち一つがすでに使われていた場合、単純に整理することもできなくなり、どれを残すのか確認したり、場合によっては別の作業まで発生したりする。

だから最初の段階で一つにまとめる必要があるのか。
こうなると単なるルールの暗記ではなくなる。次に似たケースが出てきたときにも、「後工程でこういう問題が起きるから、これはまとめたほうがいい」と自分で考えられる。
数字やルールにも「理由」がある
別の作業でも、ある数字について「なぜここだけ0になるんだろう?」と疑問に思ったことがあった。最初は「ここは0と入力する」というルールとして覚えていた。しかし後から仕組みを教えてもらうと、その数字が0になるのにはちゃんと理由があった。そこでようやく、それまで別々に暗記していた情報がつながった。
仕事を覚え始めたころは、どうしてもルールを一つひとつ暗記しがちになる。しかし「なぜそうなるのか」まで理解すると、覚える量そのものが減る。
この場合はA
こっちはB
ここだけ0
仕組みが分かれば、それぞれの答えを自分で導ける
ただし、ここでも順番は重要だ。

今回はこうしてください。なぜなら〜だからです。
この順番なら、目の前の仕事を止めずに、その先で応用できる知識まで身につけられる。
新人が何度も質問するのは、理解力だけの問題ではない
新人が同じようなことを何度も確認していると、「前にも説明したのに」と思われることもあるかもしれない。しかし教わる側の経験からいえば、必ずしも「説明を忘れた」だけではない。説明された内容は覚えていても、「今回のケースにも、そのルールを使っていいのか」が分からないことがある。
特に例外が多い仕事では、「前回はこうだった。でも今回は少し条件が違う。これも同じ扱いでいいのか?」という迷いが頻繁に出てくる。だから最初のうちは、答えだけではなく、次のような判断基準まで伝えてもらえると、一気に質問しやすくなるし、自分でも判断できる範囲が広がる。
この条件なら、前回と同じ考え方でいい
ここが違った場合だけ、別の対応になる
「相手が次に何をすればいいか」まで伝える
これまで教わる側を経験してきて、誰かに仕事を教えるときに意識したいと思っていることがある。
教えるときのチェックポイント
これだけでも、教わる側が自分で補完しなければならない情報はかなり減ると思う。
「分からなかった感覚」を忘れないでおきたい
教わる側に立ったときには、「この説明だと分からない」「この言葉だけでは何をすればいいか想像できない」という感覚がある。しかし、同じ仕事に慣れてしまえば、その感覚自体を忘れてしまうかもしれない。自分にとって当たり前になった瞬間、今度は自分が「これくらい説明しなくても分かるだろう」と思う側になる可能性もある。だから、教わる側で感じてきた「分からなさ」は覚えておきたい。
詳しく説明できることも大切だけれど、それ以上に、相手が今どこまで分かっていて、どの情報が欠けているのかを想像すること。これまで教わる側を経験してきて、それが「伝える」ということの難しさなのだと感じている。



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