幽霊はなぜ一部の人にしか見えないのか?数の矛盾から見える幽霊の正体

考察

幽霊は、亡くなった人の魂がこの世に残ったものだと言われることが多い。もしそうだとすれば、ひとつ素朴な疑問が浮かんでくる。人類の長い歴史の中で亡くなった人は、今生きている人よりもはるかに多いはずだ。それなのに、なぜ幽霊はこれほど少ないのだろうか。

ちなみに私自身は、幽霊を見たことも、気配を感じたこともまったくない。それなのに、こういう話は大好きで、島田秀平さんや稲川淳二さんといった怪談師の話はよく聞いている。そのくせ、お化け屋敷には一度も入ったことがないほどのビビりである。だからこそ、怖さとは別のところで「なぜ幽霊はこんなに少ないのか」という疑問が、ずっと気になっていた。

今回は、幽霊が「いる」と仮定したときに生まれる矛盾に注目しながら、幽霊を説明するよく知られた考え方が本当に筋の通ったものなのかを考えてみたい。

亡くなった人は生きている人よりはるかに多い

アメリカの人口調査機関であるPRB(Population Reference Bureau)の推計によると、人類が誕生してからこれまでに生まれた人の数は、およそ1,170億人とされている。現在の世界人口は約80億人なので、単純に計算すれば、すでに亡くなった人は1,000億人を超えることになる。

これまでに生まれた人
約1,170億人
今生きている人
約80億人

つまり、亡くなった人は生きている人の十数倍もいるということだ。もし亡くなった人がみな幽霊になるのであれば、私たちの周りは幽霊であふれていてもおかしくない。どこへ行っても幽霊がいて、誰もが毎日のように目撃しているはずである。

しかし実際には、幽霊を見たという話は一部の人の体験談として語られるだけで、多くの人は一生のうちに一度も幽霊を見ることがない。この数の差は、どう説明すればよいのだろうか。

亡くなった人は1,000億人を超えるのに、
なぜ幽霊はめったに現れないのか。

未練がある人だけが幽霊になるのか

この疑問に対して、よく聞かれるのが「すべての人が幽霊になるわけではない」という説明である。この世に強い未練や恨みを残した人だけが幽霊になり、それ以外の人は成仏するという考え方だ。

成仏:もともとは仏教で悟りを開いて仏になることを指す言葉。一般には、亡くなった人の魂が迷わずにあの世へ行くという意味で使われることが多い。

たしかに、怪談に登場する幽霊の多くは、何か思いを残して亡くなった人として描かれている。この説明なら、亡くなった人の数に対して幽霊が少ないことにも、ある程度は理由がつけられる。

未練が残る亡くなり方をした人は少なくない

ただ、少し考えてみると、この説明にも疑問が残る。歴史を振り返れば、戦争や大きな災害などによって、ある日突然命を奪われた人は数えきれないほどいる。家族と別れの言葉を交わすこともできず、やりたかったことを果たせないまま亡くなった人も多いはずだ。

未練が幽霊になる条件だとすれば、そうした人々こそ幽霊になっていてもおかしくない。多くの人が亡くなった場所に行けば、誰でも出会えるほど幽霊がいることになる。しかし、そうした場所で幽霊を見たという話は、決して多いわけではない。

もちろん、こうした場所は亡くなった人を悼むための大切な場所であり、怖い話の舞台として扱うべきものではない。ここで考えたいのは、あくまで「未練がある人が幽霊になる」という説明が、本当に筋の通ったものなのかという点である。

未練説が正しければ

未練を残して亡くなった人の
多い場所ほど幽霊が多いはず

実際には

幽霊を見たという人は
一部に限られる

誰が幽霊になるかを決めているのは何か

さらに言えば、未練の有無で幽霊になるかどうかが決まるとしても、その基準は誰が、どのように決めているのだろうか。未練の強さに境目があるのか、それとも別の条件があるのか。この点について、はっきりした説明はほとんど見当たらない。

目撃される幽霊には偏りがある

もうひとつ気になるのが、目撃される幽霊の姿である。幽霊を見たという話に出てくるのは、比較的最近の時代の人であることが多い。人類の歴史は何万年も続いているのに、石器時代のような姿をした幽霊の目撃談はほとんど聞かない。

また、幽霊の姿は時代や文化によっても変わってきた。日本では、白い着物を着て足のない姿が幽霊の典型として描かれてきたが、こうしたイメージは江戸時代ごろの絵画や芝居を通して広まったとされている。現代の目撃談では、普通の服装をした幽霊が語られることも多い。

何万年分もの亡くなった人がいる
▼
それなのに目撃されるのは最近の時代の幽霊ばかり
▼
幽霊の姿は時代や文化によって変わっている

もし幽霊が亡くなった人そのものなのであれば、時代を問わずさまざまな姿の幽霊が目撃されていてもよさそうだ。目撃される幽霊の姿が、その時代の人が思い描く幽霊のイメージと重なっているのは、偶然なのだろうか。

見える人にしか見えないのは波動のせいなのか

幽霊が少ない理由として、「幽霊はいるが、見える人が限られている」という説明もある。霊感のある人や、幽霊と波動や波長が合う人にだけ見えるという考え方だ。

この説明なら、多くの人が幽霊を見たことがないことにも理由がつく。しかし、ここで使われている「波動」という言葉は、物理学でいう波動とは別のものである。物理学の波動は、光や音のように測定できる現象を指すが、スピリチュアルな意味での波動は、測る方法も確かめる方法も示されていない。

波動:物理学では、光や音、水面の波のように、振動が空間を伝わっていく現象のこと。スピリチュアルの分野では、人や物が持つ目に見えないエネルギーのような意味で使われることが多い。

確かめる方法がないということは、正しいとも間違っているとも言えないということだ。「見える人には見える」という説明は、一見すると納得しやすいが、見えない人がいくら確かめようとしても確かめられない構造になっている。これでは、幽霊がいることの説明にも、いないことの説明にもならないのではないだろうか。

なお、幽霊が見える体験そのものについては、心理学や脳科学の視点から説明しようとする考え方もある。こちらについては別の記事で詳しく取り上げている。

霊が見える人は、なぜ死後の世界を説明できないのか

霊能者や占い師の中には、亡くなった人の霊が見える、あるいは霊と話ができると語る人もいる。もしそれが本当だとすれば、亡くなった人に死後の世界がどうなっているのかを聞けば、その様子がわかるはずである。

ところが、霊能者が語る死後の世界の内容は、人によってばらばらだ。光に包まれた穏やかな世界だと言う人もいれば、何段階にも分かれた世界があると言う人もいる。生まれ変わりがあると言う人もいれば、ないと言う人もいる。

同じ死後の世界を見ているのであれば、話の内容はある程度一致してもよいはずだ。説明が人によって大きく異なるということは、それぞれが語っている死後の世界が、実際に見たものというより、その人の考え方や信じている宗教観に近いものである可能性も考えられる。

霊と話せるなら、
なぜ死後の世界の説明はひとつにまとまらないのか。

まとめ:数が合わない矛盾をどう考えるか

亡くなった人は1,000億人を超えるとされるのに、幽霊を見たという人はごく一部に限られている。未練がある人だけが幽霊になるという説明も、見える人にしか見えないという説明も、霊能者の語る死後の世界も、よく考えると説明しきれない部分が残る。

もちろん、それだけで幽霊が存在しないと言い切ることはできない。しかし、幽霊がいると考えたときに生まれるこうした矛盾は、幽霊という存在が、亡くなった人そのものというより、生きている人の思いや文化の中から生まれてきたものである可能性を示しているのかもしれない。

幽霊の話を聞いたときは、怖いかどうかだけでなく、「その説明は筋が通っているのか」という視点で考えてみると、また違った見え方がするのではないだろうか。

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