人間が“世界”を認識できる理由

教養・思考

私たちは普段、目の前にあるものをそのまま見ているように感じている。机があって、空が青くて、人の顔が見える。だから「世界はこういうものだ」と自然に思っている。

でも、少し考えてみると不思議だ。外の世界が、そのまま頭の中に入ってきているわけではない。目には光が入り、耳には空気の振動が届き、それが神経の信号に変わって脳へ送られる。私たちは、その情報をもとに脳が組み立てたものを「世界」として見ている。

私たちが見ている世界は、外の世界そのものというより、そこから届いた情報を脳が解釈した結果なのではないか。

人間が見えている範囲は、かなり狭い

まず面白いのは、人間が受け取れる情報そのものに限界があることだ。目で見える光には範囲があり、耳で聞こえる音にも範囲がある。世界に存在する情報を、私たちは全部受け取っているわけではない。

たとえば、人間には見えない波長の光もあれば、人間には聞こえない音もある。逆に、他の生き物には人間とは違うものが見えたり、聞こえたりする。そう考えると、同じ場所にいたとしても、人間と別の生き物がまったく同じ世界を体験しているとは限らない。

私はここがすごく面白いと思う。私たちは普段、自分に見えているものを基準に「これが現実だ」と思っている。でも実際には、人間という生き物が受け取れる範囲だけを見ている。世界全体を見ているというより、人間用に切り取られた世界を見ていると言ったほうが近いのかもしれない。

脳は、入ってきた情報をそのまま映しているわけではない

しかも、感覚器官から入ってきた情報が、そのまま映像や音として再生されているわけでもない。脳は、過去の経験や記憶、今置かれている状況などを使いながら、入ってきた情報に意味を与えている。

たとえば、同じ音を聞いても、それが何の音なのか知っている人と知らない人では受け取り方が違う。同じ景色を見ても、興味があるものによって目につく場所が違う。見えているものが同じでも、そこで何を感じるかまでは同じではない。

「見る」というのは、カメラのように外の世界をコピーすることではなく、入ってきた情報を脳が組み立てて意味のあるものにする作業でもある。

同じ場所にいても、同じ世界を見ているとは限らない

この話を考えていると、同じ出来事を見た人同士で意見が食い違うことも少し分かりやすくなる。

もちろん、外で起きた出来事そのものまで人によって自由に変わるわけではない。ただ、その出来事のどこに注目したのか、何を重要だと思ったのか、どういう意味だと受け取ったのかは人によって変わる。

一人は「怖かった」と感じ、別の人は「面白かった」と感じる。同じ文章を読んでも、ある一文だけが強く残る人もいれば、そこはほとんど気にしない人もいる。現実を共有していても、体験している世界まで完全に同じというわけではない。

それでも、なぜ私たちは同じ世界について話せるのか

では、一人ひとりが脳の中で世界を組み立てているのなら、なぜ私たちは「同じ机」「同じ建物」「同じ空」について普通に話せるのだろう。

これは、人間同士がかなり似た感覚器官と脳を持っているからだと思う。さらに、言葉や数字、測定器を使うことで、自分だけの感覚を他の人と比較できる形にしている。

「私はこう見えた」だけではなく、長さを測る、温度を測る、記録する、同じ条件でもう一度確かめる。こうやって個人の感覚から少しずつ離れて、誰でも確認できる形にしていく。科学も、その積み重ねの一つなのだと思う。

認識できないものは、存在しないと言えるのか

ここまで考えると、私はいつも次の疑問にぶつかる。

人間が認識できないものは、本当に「存在しない」と言えるのだろうか。

人間の感覚に限界がある以上、見えない、聞こえないという理由だけで存在しないと決めることはできない。実際、私たちは自分の感覚では直接分からないものを、機械や観測によって知ることがある。

ただし、ここは逆にも注意が必要だと思う。見えないから存在しないとは言えない。でも、見えないから存在するとも言えない。未知のものがある可能性を残すことと、証拠がないものを事実として扱うことは別の話だ。

だからこそ、科学とオカルトの境界が面白い

意識とは何なのか。私たちが見ている現実は、外の世界そのものなのか。人間にはそもそも認識できないものが、どこまであるのか。

こういうことを考えていくと、脳科学や哲学の話から、いつの間にかオカルトや超常現象の話にもつながっていく。私はこの境目が好きだ。

何でも「ある」と信じたいわけでもないし、分からないものを全部「ない」と片づけたいわけでもない。今分かっていることと、まだ分からないこと、その先にある想像を分けながら考えていく。そのほうが、世界をずっと面白く見られる気がする。

私たちは、世界を見ながら世界を作っている

外の世界がなくなるわけではない。机も建物も他人も、自分とは別に存在している。ただ、私たちが実際に体験しているのは、そこから届いた情報を脳が整理し、意味を与えた世界だ。

そう考えると、「人間が世界を認識する」という言葉も少し違って見えてくる。世界をただ受け取っているのではなく、受け取った情報から、自分の中にひとつの世界を作りながら生きている。

世界について考えることは、同時に「自分はどうやって世界を見ているのか」を考えることでもある。

このテーマはYouTube「オカ女」でも動画にしている。ブログでは少し立ち止まりながら考える形で書いてみたが、映像で見たい場合はこちら。

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