最近、少し気になることがある。
私たちは以前より大量の情報に触れているはずなのに、自分から見た世界以外の「別の世界のあり方」を知る機会は、むしろ減っているのではないか。
仕事をして、生活をして、自分の趣味を楽しんでいるだけでも一日はかなり埋まる。
そのうえYouTubeやSNSを開けば、自分が興味を持ちそうなものが次々と表示される。
一人の人間が触れられる情報が、自分向けに整理されすぎている。
これはとても便利である。
しかしその結果、少し不思議なことも起きる。
自分の世界の解像度だけが、異常に上がっていくのである。
好きな世界についてはいくらでも詳しくなれる
今は、一つの趣味について深く知ろうと思えば、いくらでも知ることができる。
ビリヤードが好きなら、道具、フォーム、プロ選手、大会、配置、戦術まで延々と調べられる。
ゲームが好きなら、一つの作品について世界設定から攻略、考察、開発者の話まで追い続けられる。
好きな音楽、アニメ、哲学、心理学、スポーツでも同じである。
つまり、自分がすでに興味を持っている世界については、昔よりはるかに高い解像度で見ることができる。
しかし、ここで一つ区別しておきたい。
解像度が高いことと、世界が広いことは別である。
一つの世界を4K画質で見ていたとしても、その外側がほとんど見えていなければ、世界全体を広く見ていることにはならない。
自分の知らないところにも巨大な世界がある
自分にとってはほとんど意識したことのない分野でも、そこを何十年も研究している人がいる。
昆虫だけを研究している人がいる。
古代の宗教を調べ続けている人がいる。
ある言語の文法を研究している人もいれば、一つの植物、一つの時代、一つの思想、一つのスポーツに人生を費やしている人もいる。
自分から見れば小さな話題に見えても、そこには本人にしか見えていない巨大な世界が存在する。
そう考えると、世界はかなり奇妙である。
同じ場所に生きているのに、人によって見えている世界がまったく違う。
「興味のないものを無理に読む」という話ではない
だからといって、興味のない本を片っ端から読めばいいとは思わない。
私自身も、本を買うときは基本的に「面白そうだ」と思ったものを選ぶ。
最初からつまらなそうだと思う本を、教養のためだけに無理して読むわけではない。
ただ、面白そうだと思って読み始めた一冊の中にも、当初知りたかったこと以外の入口がたくさん存在する。
哲学について読んでいたら心理学の話が出てくる。
心理学を読んでいたら脳科学へつながる。
小説を読んでいたら、以前読んだ宗教や倫理の本と似た考え方に気づく。
そうやって、一冊の本の中から別の世界への道が伸びていく。
つまらないと思った本にも別の使い道がある
もちろん、読んでみた結果「これはあまり面白くないな」と思う本もある。
しかし、そこで完全に無価値になるわけではない。
「なぜ私はこれを面白くないと思ったのか」と考えることもできる。
「この著者はなぜこういう見方をしているのか」と考えてもいい。
自分なら別の角度からどう見るかを考えることもできる。
内容そのものに強く共感できなくても、自分とは違う世界の切り取り方を知る材料にはなる。
自分向けに最適化された世界の中で生きる
YouTube、SNS、ニュース、ネット通販など、現在のサービスの多くは、利用者が興味を持ちそうなものを優先して見せてくれる。
これは非常に便利である。
しかし便利すぎるからこそ、自分から外へ出ようとしなければ、似たものばかりを見る状態にもなりやすい。
自分の趣味。
自分の好きな作品。
自分が関心を持つ問題。
自分と近い考え。
それらについてはどんどん詳しくなる。
その一方で、「自分が何を知らないのか」を知る機会は少なくなる。
教養とは「たくさん知っていること」だけではない
教養という言葉を聞くと、多くの本を読み、歴史や哲学や科学について詳しい人を想像しやすい。
もちろん知識量も重要である。
しかし、それとは別に重要な感覚があると思う。
自分の知らない世界が、とてつもなく大量に存在していることを知っている。
自分が知っていることは、世界のごく一部にすぎない。
自分には当然に見えるものが、別の文化では当然ではないかもしれない。
自分が重要だと思っているものを、ほとんど気にしていない人もいる。
逆に、自分が一度も考えたことのない問題を、一生かけて考えている人もいる。
そういう世界の存在を想像できることも、一つの教養なのではないかと思う。
自分が見ている世界も「一つの切り取り方」にすぎない
結局、重要なのは知識を無限に増やすことではないのかもしれない。
人間が一生のうちに知ることのできる量には限界がある。
どれだけ本を読んでも、知らないことのほうが圧倒的に多い。
だからこそ持っていたいのは、
「自分が見ている世界も、無数に存在する世界の切り取り方の一つにすぎない」
という意識である。
自分の世界を深く掘ることは悪くない。
むしろ、好きなものを深く知ることは面白い。
ただ、ときどきその外側にも目を向ける。
本の中で偶然出てきた知らない言葉を調べてみる。
自分とは違う見方に出会ったとき、すぐに切り捨てず「なぜこう考えるのだろう」と考えてみる。
そうすると、自分の世界の解像度を上げながら、同時に世界そのものを広げることもできる。
世界は、自分が知っている範囲よりはるかに広い。
そのことを忘れないだけでも、同じ日常は少し違って見えてくるのかもしれない。



コメント