ミニマリストというと、物を極限まで減らした生活や、必要最低限の物だけで暮らす人を想像するかもしれない。自分も物を減らすことから始めた一人だが、今になって思うのは、ミニマリズムによって変わったのは生活環境だけではなかったということだ。
物を減らしたことで余計なことを考える時間が減り、自分の興味や疑問に向き合う余裕が生まれた。やりたいと思ったことを実行するようになったのも、その変化の一つだと思う。
しかし、それ以上に最近面白いと感じているのは、自分の考え方や読書の仕方まで変わってきたことだ。日常生活で疑問に思ったことを考え、ブログに書く。そして後から本を読んでみると、自分がすでに考えていたことと似たような話が出てくる。
以前は、本を読んで新しい考えを知ることが多かった。ところが最近は、その順序が逆になることもある。
物を減らしたことで生まれた思考の余裕が、今の自分の物事の捉え方にも影響しているのではないか。そんなことを考えるようになった。
実際に自分の中で変わったことを並べると、次のようになる。
本を読んで新しい考えを知る
疑問は曖昧なまま終わらせがち
疑問を問いとして考え、ブログに書く
考えていたことを本の中で見つける
思考に余白をつくりたいなら、まず物を減らしてみる
物が多いと、知らないうちに判断を繰り返している
ミニマリズムのわかりやすい効果は、部屋が片付くことだ。物が減れば収納に困ることも少なくなるし、掃除もしやすくなる。何を持っているのか把握しやすくなり、余計な買い物も減る。
ただ、自分にとって大きかったのは、そうした物理的な変化よりも、精神的な変化だったように思う。
物が多いと、それだけ管理しなければならないものが増える。どこにしまうか、いつ使うか、捨てるべきか、残すべきか。意識していなくても、物に対して何かしらの判断をしている。
物を減らすと、興味や疑問に向き合う余裕が生まれる
もちろん、物が少なければ必ず思考が整理されるというわけではない。それでも、自分の場合は物を減らすことで、生活の中に余白が生まれた感覚がある。そして、その余白は単なる自由時間ではなく、自分が何をしたいのか、何に興味があるのかを考える余裕にもつながっていた。
以前から興味を持っていたことに取り組んだり、やりたいと思ったことを実際に行動に移したりするようになったのも、そうした変化の一つなのかもしれない。
この「やりたいと思ったことを行動に移す」という考え方については、別の記事で詳しく書いているので、あわせて読んでみてほしい。
余白ができたら、日常の「なぜ?」を考えてみる
何気ない会話や出来事から疑問を拾う
物を減らしたことで生まれた余裕は、単に時間が増えたということではない。自分の場合は、日常生活で何気なく感じた疑問や、ふと思いついたことについて、以前よりも深く考えるようになった。
例えば、普段ならそのまま聞き流してしまうような会話でも、なぜその言葉で相手に意味が伝わるのか、なぜ同じ出来事でも人によって受け取り方が違うのか、と考えることがある。親しい人との会話では、たった一言で意味が伝わることもあるのに、反対に、お互いが同じものについて話しているつもりでも、会話が噛み合わないことがある。
そんな日常の些細な出来事から言葉や認識について考えたことは、「なぜ親しい人とは言葉がなくても通じるのに、会話が噛み合わないことがあるのか?」の記事にまとめている。
また、人はなぜ自分が認識している世界を現実だと判断するのか、他人からどう見られるかをなぜ気にするのか、といった疑問についても考えるようになった。前者は「私たちは現実そのものを知ることができるのか」、後者は「紙の本を読む人は知的に見える? Kindleで気づいた読書と世間体の関係」で、それぞれ掘り下げている。
考えたことは文章にして残す
どれも、最初から専門的な知識があったわけではない。日常生活の中で、ふと疑問に思ったことがきっかけになっている。そして、その疑問についてAIと会話したり、本を読んだりしながら考えを整理して、文章として残している。
もちろん、ミニマリストになる以前から物事について考えることはあった。ただ、今はその考えを曖昧なまま終わらせず、一つの問いとして向き合うことが増えている。
自分の考えを文章にすると、漠然としていたものが少しずつ明確になり、そこからまた別の疑問が生まれる。考えを文章に残すことが次の思考にどうつながるのかは、「ブログを書く意味とは?自分の考えを文章に残す面白さ」で詳しく書いた。
そして面白いことに、そうして自分なりに考えたことが、後から読んだ本の中に登場することもある。
先に考えてから本を読むと、読書はもっと面白くなる
本を読んでから考えるだけが読書ではない
そんな中で最近、読書をしていて面白いと感じることがある。それは、自分がすでにブログに書いたような考えが、本の中に登場することだ。
一般的に、読書は新しい知識や考え方を得るための行為だと思われている。
もちろん、自分もそうした読書をしている。知らなかった言葉や思想に触れたり、それまで考えもしなかった視点を得たりすることは、読書の大きな楽しみの一つだ。
しかし、最近はその順序が逆になることがある。
自分が考えていたことを本の中で見つける
先日、三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んだ。2024年に出版されて話題になった本で、出版からはだいぶたっているのだが、今さらながら読んでいる。その中で、仕事や生活の中で求める知識が変わるという話に出会った。仕事に取り組んでいるときには仕事に役立つ知識を求め、家族のことで悩んでいるときには家族に関する知識を求める。
そうした考え方を読んで、最近自分がブログに書いてきた内容と重なる部分があると感じた。自分も、仕事で経験したことや日常生活で疑問に思ったことを、その都度考えて記事にしている。そして、その後に読んだ本の中で、似たような考え方に出会うことがある。
もちろん、自分と著者がまったく同じことを考えているわけではない。それでも、先に自分で考えていたことが本の中に現れると、不思議な面白さがある。
違う言葉で読むと、自分の考えを捉え直せる
本を読んだから、その考えが生まれたわけではない。自分の日常生活や経験から生まれた考えが、たまたま読んだ本の中にも存在していたということだ。
しかも、本の中では自分とは違う言葉で説明されていたり、別の視点から論じられていたりする。そうすると、自分が考えていたことを改めて捉え直すこともできる。
自分がすでに考えていたことを本の中に発見する
読書には、そんな楽しみ方もあるのだと思う。
物を減らすことを目的にせず、必要なものに気づくきっかけにする
物を減らすと、考えて残して読む循環が生まれる
ここまで考えてみると、自分にとってのミニマリズムは、単に所有物を少なくするためのものではなかったように思う。物を減らすことは、あくまできっかけだった。
物が減ったことで生活に余裕が生まれ、その余裕が自分の興味や疑問に向き合う時間につながった。そして、考えたことをブログに残し、さらに読書を通じて別の考えに触れる。そうした循環が、今の自分の生活を形作っている。
何も持たないことが正解ではない
そもそも、ミニマリストだからといって、何も持たないことが正解だとは思わない。自分にとって必要なものや、やりたいことまで手放す必要はない。むしろ、必要のないものを減らすことで、自分が本当に興味を持っていることが見えてくる場合もある。
自分の場合は、物を減らすことで、逆に考えることや興味を持つことが増えていった。物を減らしたはずなのに、頭の中では新しい疑問や考えが次々と生まれてくる。
そう考えると、ミニマリズムは単に何かを減らすための生活ではなく、自分にとって必要なものに意識を向けるための考え方でもあるのかもしれない。
まとめ:まずは身の回りの物を減らして、考える余白をつくってみる
ミニマリズムを始めたとき、ここまで思考や物事の捉え方が変わるとは考えていなかった。部屋を片付けることと、哲学や心理学について考えること。一見すると、あまり関係がないように思える。しかし、自分の生活を振り返ってみると、その間にはつながりがあるように感じる。
物を減らしたからといって、誰もが同じように思考が深まるわけではないし、読書の仕方が変わるとも限らない。ただ、自分の場合は、生活をシンプルにしたことが、自分の興味や疑問に向き合うきっかけになった。
以前は、本を読んで新しい考え方を知ることが読書の面白さだと思っていた。今では、自分が考えていたことを本の中に発見する面白さも感じている。
その考えは、誰かに教わったものとは限らない。自分の日常生活や経験の中から、自然と生まれていたものかもしれない。そして、読書によって、その考えを別の角度から見直すことができる。
物を減らすことで生まれた余白に、新しい思考や経験が増えていく。自分にとってのミニマリズムは、そんな生活につながっているのだと思う。



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