日常生活の中で、最後に擦り傷を作ったのはいつだろうか。子どもの頃は転んだり、どこかに身体をぶつけたりして、擦り傷や切り傷を作ることも珍しくなかった。しかし、大人になると、日常生活で怪我をする機会は意外と少なくなる。
そんな中、思いがけない事故で久しぶりに怪我をすると、普段は意識することのない身体の感覚に気づくことがある。もちろん、痛いのは嫌だし、怪我をしたいわけでもない。それでも、久しぶりに感じる擦り傷のヒリヒリした痛みに対して、「なんだか懐かしい」「この感覚も久しぶりだな」と思うことはないだろうか。
その体験を必ずしも嫌なものとしてだけ
捉えていない。
この一見矛盾した感覚には、人間の注意や認知的評価、感情の働きが関係していると考えられる。
久しぶりに怪我をして感じたこと
先日、何年ぶりかに自転車で転んだ。夜間で雨が降っており、眼鏡も濡れていた。さらに対向車のヘッドライトが非常に眩しく、目の前の道路がほとんど見えなくなってしまった。
普段から雨の日はいつも以上に速度を落として慎重に走っているし、その場所は坂道で、日頃からヘッドライトが眩しいと感じていた場所でもある。ところが、その日はなぜか電動アシストをつけたまま狭い道を進んでしまい、道路の真ん中に設置されていた柱に勢いよく衝突してしまった。
幸い、大きな怪我にはならず、右肘に擦り傷ができた程度だった。自転車に取り付けていたスマホも無事で、何より歩行者やほかの車を巻き込まなかったことに安心した。
以前、自転車で転んだのは、歩道の溝にタイヤが挟まって滑ったときだっただろうか。それ以来、何年も転んだ記憶がない。そして今回、久しぶりに擦り傷のヒリヒリした痛みを感じている。
当然、痛いのは嫌だし、怪我をしなくて済むならその方がいい。しかし、久しぶりに味わうこの感覚が、なぜかそれほど悪くないと思えてしまう。自分から痛みを求めたわけではなく、あくまで不意に起こった事故だからこそ感じる、少し不思議な感覚だった。
なぜ久しぶりの痛みを新鮮に感じるのか
新奇性:普段と違う刺激に注意が向く
心理学では、人間が新しいものや珍しい刺激に注意を向けやすい性質を「新奇性」と呼ぶ。
新奇性:新しいものや珍しい刺激に、注意や関心が向きやすい性質。
新しい場所を訪れたとき、初めての食べ物を口にしたとき、普段とは違う音を耳にしたときなど、人は日常と異なる刺激に自然と関心を向ける。これは必ずしも楽しい刺激に限らない。
例えば、久しぶりに筋肉痛になったとき、「そういえば筋肉痛ってこんな感じだったな」と思うことがある。久しぶりに風邪をひいたときも、普段は意識しない喉の違和感や身体のだるさを強く意識するかもしれない。
擦り傷の痛みも同じように考えられる。何年も怪我をしていなければ、擦り傷のヒリヒリした感覚は、日常から遠ざかっていた刺激になる。
痛みが心地よいのではなく、久しぶりに経験する刺激として、その感覚自体に注意が向いているのである。
ただし、新奇性があるからといって、必ず好意的に感じるわけではない。痛みの強さや事故の状況によっては、不安や恐怖の方が大きくなることもある。
慣れた日常では身体の感覚を意識しにくい
人間は、普段から繰り返し経験している刺激に対して、次第に反応が弱くなることがある。心理学では、これを「馴化(じゅんか)」という。
馴化:同じ刺激を繰り返し受けるうちに、その刺激への反応が次第に弱くなる現象。
例えば、時計の秒針の音やエアコンの作動音は、最初は気になっていても、しばらくすると意識しなくなることがある。身体の感覚についても、普段は特に問題がなければ、肘や膝の皮膚を意識する機会は少ない。
しかし、擦り傷ができると状況は変わる。服が触れるだけでヒリヒリしたり、腕を動かしたときに痛みを感じたりすることで、普段は意識していなかった身体の一部に注意が向く。
これは馴化だけで説明できる現象ではないが、日常的な刺激と非日常的な刺激では、注意の向き方が異なることを示す身近な例といえる。怪我をしたことで、普段は当たり前になっていた「痛みのない状態」にも改めて気づくのである。
痛みと、その出来事に対する感情は同じではない
認知的評価:出来事をどう捉えるかで感情が変わる
心理学には「認知的評価」という考え方がある。これは、出来事そのものだけでなく、その出来事を本人がどのように解釈するかによって、感情やストレス反応が変わるというものである。
認知的評価:出来事そのものではなく、その出来事を本人がどう解釈するかによって、感情やストレス反応が変わるという考え方。
例えば、同じように自転車で転んだとしても、受け止め方は状況によって大きく異なる。大怪我をしたり、他人を巻き込んだりしていれば、恐怖や後悔が強く残るだろう。
一方で、擦り傷程度で済み、周囲にも被害がなかった場合には、「大きな事故にならなくてよかった」と安心できる。
恐怖や後悔が
強く残る
「よかった」と
安心できる
今回も、痛みがなくなったわけではない。しかし、最悪の事態を避けられたという安心感があるからこそ、久しぶりの擦り傷を少し余裕を持って受け止められたのかもしれない。
痛みという身体的な不快感と、出来事全体に対する心理的な評価は、必ずしも一致しないのである。
不快な出来事にも、興味深い側面を見つけられる
人間は、不快な出来事を常に不快なものとしてだけ記憶するわけではない。例えば、旅行中に突然の大雨に遭ったとする。その瞬間は濡れて嫌な思いをしたとしても、後から振り返れば「あのときは大変だったな」と笑い話になることもある。
もちろん、今回の怪我と旅行中の大雨では状況が異なる。それでも、出来事の不快さと、その出来事に見いだす意味を分けて考えられる点は共通している。
また、予想外の出来事を振り返り、自分が何を感じたのかを考えること自体にも意味がある。

なぜ自分は、痛いのに悪くないと思ったのだろう
そう疑問を持つことで、普段は見過ごしている自分の感情や認知の働きに気づくことができる。これは心理学でいう「メタ認知」、つまり自分の認知や思考を客観的に捉える働きにも関係する。
メタ認知:自分の思考や感情を、もう一人の自分が見ているように客観的に捉える働き。
自分から求めた痛みと、不意に経験した痛みは違う
今回の感覚を考えるうえで、もう一つ重要なのが、怪我をした経緯である。痛いのが好きだから怪我をしたいわけでも、自分から身体を傷つけたいわけでもない。
むしろ、怪我をしないで済むなら、それが一番いい。しかし、日常生活の中では、自分の意思とは関係なく予想外の出来事が起こる。転んだり、どこかに身体をぶつけたり、思いがけず怪我をしたりすることもあるだろう。
こうした不意の出来事では、本人が望んでいなかった身体感覚を経験することになる。そして事故が軽微で、安全を確認できた後には、その感覚を単なる苦痛としてだけでなく、珍しい経験として振り返る余地が生まれる場合もある。
ここで大切なのは、「痛みを経験したい」という欲求と、「経験してしまった痛みに興味を持つ」という反応は異なるということである。前者は痛みを得ること自体が目的になっているが、後者は偶然起こった出来事に対する、事後的な受け止め方である。
痛みを得ること自体が
目的になっている
起こった出来事への
事後的な受け止め方
今回のような感覚は、後者として理解する方が自然だろう。
何気ない身体感覚にも心理学が隠れている
私たちは普段、楽しいことや嬉しいことだけでなく、痛みや不快感も経験しながら生活している。しかし、それらの感覚に対して、いつも同じ感情を抱くとは限らない。
同じ擦り傷でも、怪我をした直後には驚きや不安があり、無事だと分かれば安心し、時間が経てば久しぶりの痛みを興味深く感じることもある。そこには、刺激の珍しさ、注意の働き、出来事への意味づけなど、さまざまな心理的要因が関係している。
もちろん、怪我をすること自体に価値があるわけではない。怪我を防ぐことが大切なのは言うまでもない。それでも、偶然経験した出来事をきっかけに、自分の感覚や心理について考えることはできる。

痛いのは嫌だけれど、久しぶりに感じるこの痛みも、なんだか悪くない
そんな一見矛盾した感覚も、人間の心理を考えるきっかけになるのである。
今回の体験に関係する心理学用語
| 心理学用語 | 意味・今回の体験との関係 |
|---|---|
| 新奇性 | 普段経験しない刺激に注意が向きやすい性質。久しぶりの擦り傷を新鮮に感じることに関係する |
| 馴化 | 繰り返される刺激への反応が弱まる現象。日常的な刺激と珍しい刺激の違いを考える手がかりになる |
| 認知的評価 | 出来事の解釈によって感情やストレス反応が変わること。軽傷で済んだ安心感が受け止め方に影響する |
| メタ認知 | 自分の思考や感情を客観的に捉える働き。「なぜ痛いのに悪くないと思うのか」と考えることに関係する |



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