久しぶりにショート動画を見ていたら、世の中ではこんなことが流行っているのかと、少し驚いた。
普段あまり見ないからこそ、今のSNSでは何が注目され、どんな人たちがどのような発信をしているのかが気になった。
正直、くだらないなと思う内容も多かった。それなのに、気になる人物が出てくると、その人のほかの動画まで見に行ってしまう。
別に自分もやってみたいわけではない。ただ、世の中ではこういうものが注目されているのかと、ちょっとした社会観察をしているような感覚だった。
反応を得ることが目的になっている
SNSを見ていると、いいねやコメント、再生数を増やすこと自体が目的になっているように感じる投稿もある。
最初は自分がやりたいことを発信していたとしても、反応が増えることで、次第に他人から注目されることが目的になっていくのかもしれない。
心理学には、ある行動のあとに報酬が与えられることで、その行動が繰り返されやすくなる「オペラント条件づけ」という考え方がある。
SNSでは、いいねやコメント、再生数が報酬として機能することがある。注目を集めた行動を繰り返し、同じことでは反応が得られなくなると、さらに刺激の強い行動へ向かう場合もある。
また、もともとは自分が楽しいから始めた活動でも、外からの評価を意識しすぎることで、楽しさそのものが薄れてしまうことがある。これは「アンダーマイニング効果」とも関連する考え方だ。
アンダーマイニング効果:外的報酬によって、もともと持っていた内発的な意欲が低下する現象。
もちろん、誰もがそうなるわけではない。ただ、数字が目に見える環境では、知らないうちに数字を基準として行動を選ぶようになる可能性はあると思う。
くだらないと思いながら見てしまう心理
一方で、興味がないと思っていた動画を、つい見続けてしまった自分もいる。
これは「好奇心ギャップ」という考え方で説明できる部分がある。知っている情報と知りたい情報の間に隙間があると、その隙間を埋めたくなるというものだ。
さらに、対立や批判といったネガティブな情報は注意を引きやすい。これは「ネガティビティ・バイアス」とも関係している。
ネガティビティ・バイアス:ポジティブな情報よりも、ネガティブな情報に注意が向きやすい心理的傾向。
面白いから見るとは限らない。

なんだこの人は?
そんな否定的な感情でも、その先が気になってしまうことがある。
そして、投稿者にとっては好意的な関心も否定的な関心も、再生数という数字になって返ってくる。
自分も知らないうちに、その仕組みに参加していたわけだ。
発信するという行動自体には価値がある
とはいえ、SNSで自分をアピールすることを否定したいわけではない。
自分の容姿や特技を披露したり、日常の何でもない出来事を公開したりすることも、一つの自己表現だと思う。
自分にはやりたいと思えないことでも、実際に撮影して編集し、公開するという行動を起こしている。その行動力は多少なりとも評価している。
何も発信していない人が何もしていないという意味ではない。ただ、発信することで自分の活動が誰かの目に触れ、新しいつながりや可能性が生まれることもある。
いいねがほしいのは承認欲求なのか
今は、いいねやコメントで反応を示すことが当たり前になっている。
自分もブログを書いているので、読んでくれた人からの反応はほしい。実際、ブログにもいいね機能を付けたいと思っている。
アクセス数が分かるだけでもありがたいけれど、読者がどう感じたのかまでは分からない。コメントを書くほどではなくても、「この記事いいな」と思った人がワンタップで反応してくれたらうれしい。
これは必ずしも、褒められたいとか認められたいという気持ちだけではないと思う。
自分の考えや表現が、誰かに届いているという実感がほしいのだ。
心理学では、他人から得られるこうした反応を「社会的フィードバック」として捉えることができる。
社会的フィードバック:他人からの評価や反応を通じて、自分の行動や表現について情報を得ること。
もちろん、反応がないからといって発信に意味がないわけではない。自分の考えを整理したり、記録として残したりすることにも価値がある。
それでも、誰かが見てくれていると分かれば、次の発信への励みになる。
他人の反応に振り回されることと、参考にすることは違う
今回の話で特に考えたのは、他人の反応を求めること自体が悪いわけではないということだ。
問題になるのは、反応を得るために、自分のやりたいことまで無理に変えてしまう場合ではないだろうか。
ただし、ここにも別の見方がある。
自分が発信したいことだけを発信していても、なかなか見てもらえないことはある。そこで、相手が何を求めているのかを考え、内容や伝え方を工夫することは、むしろ大切な行動だと思う。
心理学には、相手の立場や考え方を想像する「視点取得」という概念がある。
自分の考えを押し付けるのではなく、相手が何に興味を持ち、どのような情報を求めているのかを考える。それによって発信の幅が広がり、結果的に多くの人に届く可能性もある。
他人の反応をきっかけに、それまで興味のなかったことに挑戦し、新しい楽しみを発見することだってあるだろう。
つまり、他人の反応によって行動を変えることが、必ずしも悪いわけではない。
反応を得るために、やりたいことまで無理に変える
相手が求めることを考え、内容や伝え方を工夫する
自分の好奇心と他人の好奇心
自分の場合、ブログの記事を書くきっかけは、日常のちょっとした疑問や好奇心であることが多い。
何かを見たり聞いたりして気になったことを調べ、考えを深め、それを文章にして残している。
だからといって、読者の反応に興味がないわけではない。
どんな記事が読まれているのか、どんな話題に関心を持ってもらえるのかを知ることは、自分にとっても新しい発見になる。
自分では何でもないと思っていた話が、ほかの誰かにとっては面白い話かもしれない。
逆に、読者の反応から自分では思いつかなかった視点を得られることもあるだろう。
その結果として多くの人に見てもらえたり、思いがけずバズったりするのであれば、それも面白い。
他人からの反応を求めることと、自分らしく表現することは、決して矛盾するものではないと思う。
大切なのは、数字に自分の行動を支配させるのではなく、数字や反応を自分の活動にどう生かすかということなのかもしれない。



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