なぜ親しい人とは言葉がなくても通じるのに、会話が噛み合わないことがあるのか?

教養・思考

日常生活のなかで、相手と同じものについて話しているはずなのに、なぜか会話が噛み合わないことがある。反対に、親や恋人、長年一緒にいる友人など、親しい間柄では、ほとんど言葉を使わなくても意思が伝わることがある。

例えば、いつも同じ場所に置いてあるティッシュを取ってほしいとき、「ティッシュ」と一言だけ伝えたり、その場所を指さしたりするだけで、相手が取ってくれることがある。ところが、同じ相手でも、きちんと言葉を使って説明しているのに、なぜか話が噛み合わないことがある。

これは一体なぜなのだろうか。先日、母親との何気ない会話で、まさにそんなことがあった。

同じゴミ箱の話をしているのに、会話が噛み合わない

きっかけは、家に置いてあるゴミ箱の配置を変えたという話だった。

母
母

大きいほうの入れ物をプラゴミのゴミ箱に変えたからね

笑加
笑加

大きいほうを右に移動したんでしょ?

母
母

場所は変えてないよ!

この返答を聞いて、一瞬「どういうこと?」と思った。実際、大きいほうのゴミ箱は右に移動している。それなのに、母親は場所を変えていないと言う。

しかし、会話を振り返ってみると、母親の言っていることも間違いではなかった。もともと、プラゴミを捨てる場所は右側にあった。今回、母親は大きいほうのゴミ箱をプラゴミ用に変更し、その右側に置いた。つまり、変化を整理すると次のようになる。

基準 変更前と変更後
プラゴミを捨てる場所右側のまま
大きいゴミ箱の位置右側に移動
大きいゴミ箱の用途プラゴミ用に変更

母親が意識していたのは、プラゴミを捨てる場所だった。プラゴミは以前から右側に捨てていたのだから、「場所は変えていない」という説明になる。

一方、私が意識していたのは、大きいゴミ箱そのものだった。以前は別の場所にあった大きいゴミ箱が右側に移動しているのだから、「移動したんでしょ?」という質問になる。

母親の基準

ゴミの種類
(プラゴミを捨てる場所)

私の基準

ゴミ箱という物体
(大きいゴミ箱そのもの)

どちらも同じゴミ箱について話している。それなのに、話の前提が異なっていた。

同じゴミ箱について話していても、
何を基準にしているかが違えば、会話は噛み合わなくなる。

言語学で考える「指示対象のずれ」

このようなすれ違いは、言語学における「指示対象」という考え方から説明できる。

指示対象:ある言葉が、具体的に何を指しているのかということ。

例えば、「あれを取って」と言われたとき、相手が何を指しているのか分からなければ、その指示には従えない。「あれ」という言葉自体に、特定の物体を表す意味が固定されているわけではない。会話の状況や、話し手と聞き手が共有している情報によって、その対象が決まる。

今回のゴミ箱の会話も、これに近い。「大きいほう」という言葉はゴミ箱を指していたが、「場所は変えていない」という返答で基準になっていたのは、プラゴミを捨てる場所だった。

厳密には、単に一つの言葉の指示対象がずれたというよりも、何についての変化を話しているのかという、会話の焦点そのものがずれていたのである。母親は用途を中心に説明し、私は物体の移動について質問していた。

同じ話題を共有しているつもりでも、頭の中で注目している対象まで一致しているとは限らない。

なぜ親しい人には「ティッシュ」だけで伝わるのか

一方で、私たちは普段の生活のなかで、驚くほど多くの言葉を省略して会話している。例えば、いつも同じ場所にティッシュが置いてあるとする。

親や恋人など、日常的に一緒に過ごしている相手なら、その場所を指さすだけでティッシュを取ってくれることがある。場合によっては、「ティッシュ」と一言だけ伝えるだけでも通じる。

しかし、よく考えてみると不思議なことである。「ティッシュ」という言葉は、単に物の名前を表しているだけである。そこには「取ってほしい」「こちらに渡してほしい」という意味が、言葉そのものに含まれているわけではない。

それなのに、相手は「ティッシュを取ってほしいのだろう」と理解する。なぜそんなことができるのだろうか。

それは、相手が言葉だけでなく、それまでの経験や、その場の状況を手がかりにして、こちらの意図を推測しているからである。

「ティッシュ」という一言
▼
いつもの場所・これまでの経験
▼
「取ってほしいのだろう」と推測する

いつも同じ場所にティッシュがあり、これまでにも何度か取ってもらった経験があれば、「ティッシュ」という一言から、何を求められているのか予測しやすくなる。

私たちは、言葉だけで意思疎通をしているわけではないのである。

指さすだけでも伝わるのはなぜか

さらに考えてみると、言葉をまったく使わなくても伝わる場合がある。例えば、ティッシュのある場所を指さしたとする。

指さすという動作そのものには、「ティッシュを取って渡してほしい」という意味が必ず含まれているわけではない。「あそこを見てほしい」という意味かもしれないし、「あそこに何かある」と知らせているだけかもしれない。

それでも、普段から一緒に過ごしている相手なら、その動作から意図を読み取ることがある。

このように、言葉や動作が実際の場面でどのような意味を持つのかを考える分野が、言語学の「語用論(ごようろん)」である。

語用論:言葉の辞書的な意味だけでなく、話し手の意図や会話の状況、相手との関係から、言葉や動作の意味を考える分野。

例えば、「寒いね」という一言も、単に気温について話している場合もあれば、「窓を閉めてほしい」という遠回しな依頼になっている場合もある。

そのままの意味

気温について話している

遠回しな依頼

窓を閉めてほしい

ただし、相手が必ずその意図を理解するとは限らない。「本当に寒いね」と返されて終わることもあるだろう。

同じ言葉でも、状況や相手によって受け取られ方が変わるのである。

親しい人ほど言葉を省略できる理由

こうした意思疎通を考えるうえで重要なのが、「共通基盤(コモン・グラウンド)」という概念である。

共通基盤(コモン・グラウンド):会話をしている人たちの間で、互いに共有していると考えられている知識や情報のこと。

例えば、親子であれば、家のどこに何が置いてあるのか、普段どのような行動をしているのかを、ある程度知っている。恋人や友人でも、長く一緒に過ごしていれば、相手の習慣や好み、言葉の使い方などを知る機会が増える。

職場でも同様である。長年一緒に働いている同僚同士なら、「いつもの資料をお願い」と言うだけで、どの資料のことなのか伝わる場合がある。しかし、入社したばかりの人に同じことを言っても、「いつもの資料」が何なのか分からないだろう。

つまり、同じ言葉を使っていても、相手と共有している情報の量によって、伝わりやすさが変わるのである。

状況 「ティッシュ」だけで伝わる可能性
親+いつもの場所にあるティッシュ高い
初めて家に来た人+いつものティッシュ低くなりやすい
親+いつもの場所に別の物体勘違いする可能性がある
初めて家に来た人+別の物体さらに説明が必要になりやすい

もちろん、親しい関係であれば必ず伝わるというわけではない。重要なのは、親しさそのものよりも、相手との間にどのような経験や情報が共有されているかということである。

一緒に過ごした時間が長いほど、説明しなくても理解できることが増えていく。それは、言葉を使わなくても相手の心が読めるようになるということではない。過去の経験を手がかりに、相手が何を求めているのかを予測しやすくなるということである。

なぜ親しい相手なのに会話が噛み合わないのか

ここで、最初のゴミ箱の話に戻ってみたい。親子のように長く一緒に暮らしている関係では、ティッシュの場所を指さすだけでも意思が伝わることがある。それなのに、ゴミ箱については、きちんと言葉を使って説明しているにもかかわらず、会話が噛み合わなかった。

一見すると矛盾しているようにも思える。しかし、共通基盤という考え方から見ると、むしろ自然なことなのかもしれない。親しい相手だからといって、すべての情報や認識を共有しているわけではない。

母親は、プラゴミを捨てる場所が以前と変わっていないことを意識していた。私は、大きいゴミ箱そのものが右に移動したことを意識していた。お互いに同じ状況を知っていても、何に注目しているのかまでは共有できていなかったのである。

そして、親しい関係では、相手も自分と同じことを理解しているだろうと考え、説明を省略することがある。普段はそれで問題なく会話が成立する。しかし、認識が異なっている場合には、その省略がすれ違いにつながることもある。

親しい人ほど言葉を省略しても伝わる一方で、
親しいからこそ、
説明しなくても分かると思い込んでしまうことがある。

ここに、日常のコミュニケーションの面白さがある。

なぜ相手の質問に答えているつもりになるのか

もう一つ興味深いのは、母親が私の質問を否定したことである。私は「大きいほうを右に移動したんでしょ?」と聞いた。これは、大きいゴミ箱という物体が移動したかどうかを確認する質問である。

ところが母親は、「場所は変えていない」と答えた。母親にとっては、プラゴミを捨てる場所が変わっていないことを説明するのが自然だったのだろう。

つまり、相手の質問を聞いていても、その質問を自分の理解している文脈に当てはめて解釈してしまうことがある。

これは必ずしも、相手の話を聞いていないということではない。人間は会話をするとき、言葉を一つひとつ独立して処理しているわけではない。それまでの話の流れや、自分が知っている状況を手がかりに、相手の発言の意味を補いながら理解している。

普段はこの仕組みのおかげで、細かい説明を省略しても会話が成立する。しかし、話し手と聞き手が異なる前提を持っている場合、その補完がかえってすれ違いを生むこともある。

どちらも正しいのに、会話が成立しない

今回の会話で面白いのは、どちらかが事実を間違えていたわけではないという点である。

母親の説明

プラゴミを捨てる場所は
変わっていない

私の質問

大きいゴミ箱は
右に移動した

この二つの文章は、同時に成立する。それぞれ異なる対象について述べているからである。

にもかかわらず、会話のなかでは、一方がもう一方を否定しているように聞こえてしまう。私が確認したかったのはゴミ箱の移動であり、母親が伝えたかったのはプラゴミの場所が変わらないということだった。どちらも間違っていないのに、質問と回答が対応していない。

会話において、事実が正しいことと、
相手の質問に適切に答えていることは、
必ずしも同じではない。

私たちは同じ世界を同じように見ているわけではない

このようなすれ違いは、ゴミ箱に限った話ではない。例えば、職場で誰かが「この仕事は変わっていない」と言ったとする。

その人は、仕事の目的や担当業務が変わっていないことを指しているのかもしれない。しかし、別の人は、作業手順や使用するシステムが変更されたことを指して「変わった」と考えているかもしれない。

「変わっていない」と考える人

仕事の目的・担当業務

「変わった」と考える人

作業手順・使用するシステム

どちらも同じ仕事について話しているが、変化を判断する基準が異なっている。ここで問題になるのは、「変わった」という言葉の意味を知らないことではない。何を比較しているのか、という前提が共有されていないことなのである。

私たちは、同じものを見ていれば、相手も自分と同じところに注目していると思いがちである。しかし、実際には同じ出来事でも、人によって注目する部分は異なる。

ある人にとって重要なのは用途であり、別の人にとって重要なのは位置かもしれない。目の前にある事実が一つでも、その事実をどのように切り取って説明するかは一つではない。

会話が噛み合わないとき、何を確認すればいいのか

こうしたすれ違いを解消するには、単に同じ質問を繰り返すのではなく、何を基準に話しているのかを明確にするとよい。今回なら、

笑加
笑加

プラゴミの場所が変わっていないのは分かるけど、大きいゴミ箱自体は右に動かしたんでしょ?

と聞けば、両者の認識を区別できる。重要なのは、相手の説明が間違っていると決めつける前に、相手が何について説明しているのかを考えることである。

もちろん、日常会話でそこまで細かく確認する必要はないかもしれない。しかし、仕事の指示や重要な意思決定など、認識のずれが問題につながる場面では、この違いが大きな意味を持つ。

例えば、「いつもの資料を送って」と頼まれた場合、相手がどの資料を指しているのか分からなければ、確認する必要がある。普段は省略しても伝わることが、状況が変わった途端に伝わらなくなることもある。

相手と共有している情報を前提にしながらも、
その前提が本当に一致しているのかを確認することが、
すれ違いを減らすことにつながる。

言葉が通じることと、意味が通じることは違う

今回の会話は、ただゴミ箱の配置を確認しただけの話である。それでも、会話をしている最中に「何かおかしい」と感じた。そして振り返ってみると、母親も私も、それぞれ別の基準から正しいことを言っていた。

一方で、同じ母親とは、ティッシュの場所を指さすだけでも意思が伝わることがある。言葉を使わなくても伝わることがあるのに、言葉を使っても伝わらないことがある。この違いを考えてみると、私たちの会話がいかに多くの共有情報や推測によって成り立っているのかが分かる。

私たちは同じ日本語を話し、同じものを見て、同じ話題について会話している。それでも、相手が自分と同じ意味で言葉を使っているとは限らない。むしろ、普段の会話が何の問題もなく成立していることのほうが、考えてみれば不思議なのかもしれない。

言葉が少ないから伝わらないとは限らないし、
言葉が多ければ正確に伝わるとも限らない。

言葉が通じているからといって、必ずしも意味まで共有できているわけではない。たった一つのゴミ箱の話から、そんな当たり前のようで見落としがちなことに気づかされたのである。

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