私たちは日常の中で、まだ起きていない未来について多くの時間を費やしている。将来どんな仕事をしていたいのか。何歳までに何を達成したいのか。今の生活を続けていて本当に大丈夫なのか。
将来について考えることは大切である。しかし、未来のことばかり気にしているうちに、今の生活を楽しめなくなってしまうことはないだろうか。そもそも、これから何を経験し、誰と出会い、どんなことに興味を持つのかさえ分からないのに、未来の自分の姿を今から決める必要はあるのだろうか。
今回は、仮想現実についての何気ないコメントをきっかけに、心理学や哲学の視点から「今を生きること」について考えてみたい。
この世界が仮想現実でも人生を楽しめばいい
以前、YouTubeで「この世界が仮想現実か、見破る方法があった」というテーマの動画を公開した。私たちが現実だと思っている世界は、本当に現実なのだろうか。もしかすると、高度な文明によって作られた仮想世界の中で生きているのかもしれない。
そんなシミュレーション仮説について考える内容である。その動画に、こんなコメントが寄せられた。
少なくとも仮想現実であっても抜け出せないのも事実だからそ人生を楽しみましょう
答えの出ない問題より、今できることに目を向ける
このコメントを読んで、非常にポジティブな考え方だと思った。たとえ世界が仮想現実だったとしても、私たちがその世界から自由に抜け出せるとは限らない。だったら、世界の正体を気にするより、今の人生を楽しんだほうがいいという考え方である。
もちろん、この世界が仮想現実かどうかは分かっていないし、そこから抜け出せないと証明されているわけでもない。しかし、ここで重要なのは仮想現実の真偽ではない。
今できることに目を向ける。
これは、私たちが普段考えている将来の不安にも当てはまるのではないだろうか。
将来のことを考えすぎると、今が見えなくなる
将来のために勉強する。将来のために貯金する。将来のために今は我慢する。こうした考え方は決して間違っていない。未来に備えることは、安心して生活するためにも必要である。
しかし、何をするにも「将来のため」という理由ばかりになってしまうと、今という時間が単なる準備期間になってしまう。
「いつか」を待つうちに時間が過ぎていく
例えば、仕事で成功したら好きなことを始めよう。お金に余裕ができたら旅行に行こう。生活が落ち着いたら新しい趣味を始めよう。そう考えているうちに、何年も経過してしまうことがある。
しかも、いざ目標を達成しても、また別の目標が生まれる。今度はもっと収入を増やしたい。もっと安定した生活を送りたい。もっと時間に余裕が欲しい。
こうして、いつまでたっても「今を楽しむ」という段階にたどり着けなくなるのである。
満足してもすぐ次を求める「快楽順応」
心理学では、人間は現在の状態に慣れると、新しい目標や満足を求めやすくなることが知られている。これは快楽順応と呼ばれる現象とも関係している。
快楽順応:手に入れた状態や環境に慣れるにつれて、喜びや満足感が薄れていく心理。
もちろん、目標を持つこと自体が問題なのではない。
問題なのは、未来のために現在を犠牲にすることが、いつの間にか当たり前になってしまうことである。
将来何になりたいかは、今決めなければいけないのか
子どもの頃から、私たちは何度も「将来何になりたいのか」と聞かれる。学校でも、就職活動でも、社会人になってからも、数年後の自分について考える機会がある。
しかし、そもそも将来何になりたいかなんて、今の段階で分かるものなのだろうか。
向いているかどうかは、やってみないと分からない
例えば、今まで一度も経験したことのない仕事について、その仕事が自分に向いているかどうかを正確に判断することは難しい。実際にやってみて初めて面白さに気づくこともあれば、憧れていた仕事が想像とは違うと感じることもある。
趣味だって同じである。何となく興味を持って始めたことが、いつの間にか生活の中心になるかもしれない。反対に、ずっと好きだったことへの興味が薄れることもある。
価値観は経験によって変わっていく
人間の価値観は、経験によって変わっていく。それなのに、今の自分が考えた理想の将来像に、未来の自分を合わせようとする必要があるのだろうか。将来の目標を持つことは悪くない。しかし、その目標は途中で変わってもいいし、最初から明確でなくてもいい。
やりたいことは、やってみることで次につながる
以前から、やりたいと思ったことはできるだけ実際にやってみたいと考えている。例えば、ブログを書いてみたいと思えばWordPressでサイトを作る。自分の考えを本にしてみたいと思えば、AIを活用してKindle本を出版してみる。欲しいアプリが見つからなければ、自分で作ってみる。
もちろん、どれも最初から成功が約束されているわけではない。ブログを書いても誰にも読まれないかもしれないし、本を出版しても売れないかもしれない。
一つの行動が、別の興味につながる
しかし、実際にやってみなければ分からないことがある。ブログを始めれば、文章を書くことだけでなく、サイトの運営やデザイン、検索エンジンの仕組みにも興味が広がる。
本を出版すれば、出版の仕組みや読者に伝えるための構成についても考えるようになる。
サイト運営やデザイン、
検索の仕組みにも興味が広がる
出版の仕組みや
伝わる構成を考えるようになる
一つの行動が、別の興味や知識につながっていくのである。これは最初から計画していた未来とは限らない。むしろ、行動したことで、それまで想像もしていなかった選択肢が生まれることに意味がある。
だからこそ、何年後にどうなっていたいかを細かく決めるよりも、今興味があることに挑戦するほうが、自分にとっては自然な生き方なのである。
私たちは未来ではなく、今を経験している
哲学者アウグスティヌスは、著書『告白』の中で時間とは何かという問題を考えた。過去はすでに過ぎ去り、未来はまだ訪れていない。では、私たちが実際に経験している時間とは何なのだろうか。
過去について考えるとき、私たちは現在の記憶を通して過去を思い出している。未来について考えるときも、現在の意識の中で未来を想像している。つまり、過去や未来について考えることさえ、今この瞬間に行われているのである。
仏教の「無常」から考える
仏教にも、あらゆるものが変化し続けるという「無常」の考え方がある。
無常:この世のあらゆるものは移り変わり、同じ状態のままとどまることはないという仏教の考え方。
今の自分と10年後の自分は、同じ価値観を持っているとは限らない。好きなことも、興味を持つ対象も、人生に求めるものも変わっていく。そう考えると、今の自分が未来のすべてを決めようとすること自体に、無理があるのかもしれない。
未来を考えることは必要である。しかし、未来の自分が何を望むのかまで、今の自分が知っているわけではない。
今を楽しむことは、将来を考えないことではない
ここで誤解したくないのは、今を楽しむことと、将来について何も考えないことは違うという点である。生活するためには働く必要があるし、収入や健康について考えることも大切である。
将来に備えて貯金することも、資格を取得することも、目標に向かって努力することも意味がある。
理由は「面白そう」だけでもいい
ただし、そのすべてを将来のためだけに行う必要はない。勉強すること自体が面白いと感じてもいいし、仕事を通して新しい知識を得ることを楽しんでもいい。
趣味を始める理由だって、将来役に立つからでなくてもいい。

何となく面白そうだから。ただやってみたいから。
それだけでも、十分に行動する理由になる。そして、そうした何気ない経験が、結果として未来の自分を作っていくこともある。
未来の正解を探すより、今の可能性を広げていく
この世界が仮想現実だったとしても、私たちはその中で喜びや悲しみを感じ、さまざまな経験をしている。世界の正体が何であろうと、自分が経験したことまで無意味になるわけではない。
未来は予測できないからこそ面白い
将来についても同じである。5年後、10年後にどんな自分になっているのか、今から正確に予測することはできない。しかし、だからといって未来が不安なものばかりとは限らない。
これから新しい趣味に出会うかもしれないし、思いがけない仕事に興味を持つかもしれない。今まで知らなかった考え方に触れて、人生の価値観そのものが変わるかもしれない。
そうした可能性は、今の自分にはまだ見えていない。だからこそ、未来を一つの理想像に固定するよりも、今できることを経験しながら、自分の選択肢を増やしていくほうが面白いのではないだろうか。
人生は、あらかじめ決めた未来に向かって進むだけのものではない。
今の経験によって、未来そのものが変わっていく。
今を楽しむことは、未来を諦めることではない
将来何になりたいのか分からなくてもいい。何年後にどうなっていたいのか、明確な答えがなくてもいい。大切なのは、まだ分からない未来のことばかり考えて、今という時間を通り過ぎてしまわないことである。
そして何より、今を楽しむことは、決して未来を諦めることではない。
まだ知らない未来の自分に
出会うきっかけになる。



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